串呂哲学研究ノート

三浦芳聖先生が解明された串呂哲学(神風串呂)を学ぶ串呂哲学研究会のブログです。串呂哲学は、日本の精神世界を学ぶことの出来る大変ユニークな学問です。少しずつ学ぶうち、荘厳で神秘的な楽しい宇宙が開けると想います。あなたも共に学びませんか。
<< 串呂哲学とは(8)串呂哲学の解読法 4、実証・論証・傍証の串呂 | main | 串呂哲学とは(10)吉永町の奇跡 >>
串呂哲学とは(9)串呂哲学の解読法 5、天佑神助

三浦芳聖は、串呂を解明する過程で、神秘的な現象を数多く体験している。いわゆる天佑神助である。霊感・地震・崩落・火災・事故・建造物など、このうち最もユニークなものが串呂研究中にどこからともなく飛来して串呂解明に必要な地文(地名)の上にとまったり、未解明の見えない串呂線上を這って行ったという「串呂の虫」(かんろのむし)の霊示である。

 

 

神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)
後醍醐天皇
−尊良天皇−興国天皇−小室門院¬
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−大宝天皇−−−−−三浦芳聖
−義良親王――――――寛成親王−綾子皇后−大宝天皇
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−光良親王−−−−睦仁親王

 


神皇正銃の天皇が天の岩戸篭もリした事が地文に秘められていると
理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。

5、天佑神助

三浦芳聖は、串呂を解明する過程で、神秘的な現象を数多く体験している。いわゆる天佑神助である。その内の顕著な例を挙げると、神示(霊感・霊視・霊聴・串呂の虫など)・地震・噴火・崩落・火災・事故(交通事故・列車事故・ガス爆発など)・建造物の出現などである。このうちの最もユニークなものが串呂の研究中にどこからともなく飛来して、串呂解明に必要な地文(地名)の上にとまったり、未解明の見えない串呂線上を這って行ったという「串呂の虫」(かんろのむし)の霊示である。

 

ア、神示

皇祖大神(みおやのおおかみ)の霊示による御導きのことである。霊能者であった三浦芳聖に霊感・霊視・霊聴・串呂の虫などで串呂解明のお導きがあった事例は枚挙に暇がないほどである。三浦芳聖が発表した顕著な例をご紹介します。

 

・尊良天皇が登極したこと

三浦芳聖が豊川市諏訪町に住所を移転した昭和25(西暦1950)年、後醍醐天皇が三浦芳聖に神懸りして三浦芳聖の口を使って「後醍醐天皇が皇位を譲ったのは尊良親王である。」という重要事項の霊示があった。

 

・尊良天皇の贈名は「東山天皇」

昭和44年松良天皇御陵での祭祀中に霊示があり、尊良天皇の贈名は「東山天皇」であることを知らされ、串呂の解明により確定した。

 

・睦仁親王は松良天皇の第四皇子・光良親王の王孫

昭和42(1967)年6月15日の月次祭中に御神示があり、「睦仁親王は松良天皇の第四皇子・光良親王の王孫である」ことを知らされ串呂の解明が進んだ。

 

・串呂の虫による解明

三浦芳聖は、串呂哲学を解明する過程で、神秘的な現象を数多く体験している。そのうちの最もユニークなものが「串呂の虫」(かんろのむし)である。この串呂の虫とは、玉虫色の美麗な虫で、三浦芳聖が地図を広げての串呂研究中に、どこからともなく飛来して、串呂解明に必要な地文の上にとまったり、未解明の目に見えぬ串呂線上を這って行ったというのである。一般的には信じ難いことであるが、三浦芳聖は、このように「串呂の虫」があらわれて、重要な地名や串呂を発見したことが度々あったようだ。

 

三浦芳聖が発表した事例を挙げると

「高長」(兵庫県姫路市夢前町・尊良天皇をあらわす地文)を発見する時に、この「串呂の虫」が現れて地名の上にとまったというのである。この「高長」は、尊良天皇が、登極したことを証明する下記の串呂上の重要地文である。

「高長」と「八尺鏡野」の神風串呂

「竹生」−「上野」−「与位」−「高長」−「高御位山」−「高甲良山」−「八尺鏡野」

 

また、「光長」(島根県鹿足郡吉賀町注連川・松良天皇の第四皇子をあらわす地文)を発見する時に、この「串呂の虫」が現れて、地名の上にとまったというのである。

「光長」−「睦仁親王(明治天王)桃山御陵」−「御在所山」−「松永」−「四之宮」

 

この「光長」発見時は、昭和42(1967)年6月15日の月次祭の後、三浦芳聖が門人数十名(南朝史学会・藤原彦人氏同席)と串呂の研究をしている時だったので、居合わせた門人は、この「串呂の虫」を拝見する光栄に浴したようだ。

 

イ、地震

遠祖「小松天皇・皇后元子内親王」の御陵を発見

昭和23(西暦1948)年、静岡県磐田市惣兵衛下新田の松島金一郎家で午後9時頃、祭祀中に地震があり、その瞬間、三浦芳聖の霊眼に静岡県中部の五万分の一の地図が映じ、菊川市(菊川駅南東)の「堀之内」から相良町(牧之原市)の「堀之内」へ筋が引かれ、次に榛原町(牧之原市)の「堀之内」から小笠町の「堀之内」(菊川市河東の堀之内谷か?)へ筋が引かれ、さらに「松島」(島田市金谷町南西)から「鬼女新田」(牧之原市)へ筋が引かれ、三本の筋がほぼ交差する地点に塚が映ったので、この三本の串呂を地図上で引いて交差した三角地点内に小松天皇皇后、小室門院元子内親王の御陵「妙覚塚」(静岡県牧之原市相良町大寄部ヶ谷台上)を発見した。なお、堀之内は御陵の隠文である(古代古墳は、周りに堀が廻らされてある)。

 

ウ、噴火

 1940年(昭和15年)7月、三浦芳聖は、元企画院総裁滝正雄に呼び出され、軽井沢の近衛家の別荘で近衛文麿から東洋平和の方策について意見を求められ面会中であった。三宅島雄山は、7月12日午後7時30分に爆発した。その時、近衛文麿公の前で三宅島雄山を起点にして「大戦防−逆面」の串呂を解明したという。

 

エ、崩落

土砂崩れや崖崩れの事故の時には、「大崩(おくずれ・おおくずれ)」(千葉県安房郡鋸南町山梨県南巨摩郡身延町)を起点にして串呂を引くと、時の神意を知ることができた。

 

オ、火災

火災が起きた時には、「梶(かじ)」(大阪府守口市梶町福井県坂井市三国町梶など)を起点にして串呂を引くと、時の神意を知ることができた。

 

カ、事故

事故が起きた時には「的場(まとば)」(愛知県新城市静岡県駿東郡清水町など多数)を起点にして串呂を引くと、時の神意を知ることができた。

 

キ、建造物

中村公園の大鳥居

 

 

 


人気ブログランキングへ
「串呂哲学」を一人でも多くの方々にお知らせするため「人気ブログランキング」に登録しています。ご面倒をお掛けしますが、ワンクリックのご支援をお願いします。

 

| 串呂哲学 | 11:26 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://kanro.0394.daa.jp/trackback/1257809
トラックバック
CALENDAR
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
モバイル
qrcode
PROFILE