串呂哲学研究ノート

三浦芳聖先生が解明された串呂哲学(神風串呂)を学ぶ串呂哲学研究会のブログです。串呂哲学は、日本の精神世界を学ぶことの出来る大変ユニークな学問です。少しずつ学ぶうち、荘厳で神秘的な楽しい宇宙が開けると想います。あなたも共に学びませんか。
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串呂哲学とは(8)串呂哲学の解読法 4、実証・論証・傍証の串呂

串呂哲学は、単線のみで恣意的に地文を取上げて独善的な解釈をする弊害を防止するため、縦横無尽に走る複数の串呂によって、実証・論証・傍証の串呂を考証し、多角的・論理的に解釈するのを原則とする。

 

 

神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)
後醍醐天皇
−尊良天皇−興国天皇−小室門院¬
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−大宝天皇−−−−−三浦芳聖
−義良親王――――――寛成親王−綾子皇后−大宝天皇
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−光良親王−−−−睦仁親王

 


神皇正銃の天皇が天の岩戸篭もリした事が地文に秘められていると
理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。

 

実証の串呂

「串呂哲学とは(2)串呂哲学解明の経緯」で紹介した「蔵王山と三浦山の神風串呂」を詳細に考証すると、下記の串呂図の中の

 

串呂図「蔵王山と三浦山の神風串呂」 (クリックすると拡大します)

 

宮路山(みやじさん・愛知県豊川市赤坂町)

大宝天皇が炭焼きに変装して隠れ住んでいた所。大宝2(西暦702)年の持統天皇の御幸を記念して大正6年(1917年)に建立された「宮路山聖跡」の石碑がある。串呂哲学では、この石碑は「大宝天皇が炭焼きに変装して、からくも皇を保した聖跡を記念して天地神明が建立した」と解釈しています。宮路山(ウィキペディア)

 

寺野薬師堂(てらのやくしどう・愛知県岡崎市夏山町) 

大宝天皇が御父・松良天皇を隠祀した勅祭寺・行在所。大宝天皇の隠棲地「切越」から近く、ここで大般若六百巻を念書したと推察される。地元の古老は「ちち薬師」と呼ぶ。お参りすると母乳がよく出る御利益があると言われているが、「ちち」は「御父(ちち)松良天皇」に由来する。大楠で有名。「楠は木+南」で南朝のシンボル。

 

地元の方が発表したHPに「国道1号線・岡崎市本宿町沢渡交差点から国道473号線を北に約9km進むと、寺野集落の大きなカーブの正面崖上にお寺の屋根と大楠が見えます。大楠は、明治27年に周囲2.5mもある大枝が台風で折れた際、その枝が75円という価格で売れたそうです。江戸時代ここには正法寺という寺院がありましたが無住寺となり、その名が消えて今は薬師堂と呼ばれるお堂だけになりました。寺野の大クスは薬師堂のすぐ裏の崖にあり、県下では三番目に大きいクスノキですが、写真のように根を大きく崖面に見せています。これだけの根っ子はなかなかありません。」と出ています。 薬師堂の大楠(愛知県指定文化財)

 

牧平大門(まきひらだいもん、愛知県岡崎市牧平町大門)
大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。三浦家の系図によれば、大宝天皇は、享徳3年甲戌(西暦1454年)この地に移住し、皇后三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称した。牧平町大門は天照大御神が五皇一体の八幡大明神の降誕予定地として指定された「日本天皇蒙塵(もうじん)の地」であり、大宝天皇以降、三浦家累代 450年間の住居であり、三浦芳聖の降誕地であります。

 

以上の3カ所は、大宝天皇が実際にその地を踏んでいる。このように、一本の串呂線上に一カ所以上、実地にその地を踏んだことのある地文(出生地、住居、隠棲地、御陵墓など)が存在する串呂を「実証の串呂」と呼びます。

 

論証の串呂

次にこの串呂線上の一つの地文を別の起点から貫線して考証することを論証と呼ぶ。上記の「蔵王山と三浦山の神風串呂」でいうと、「この串呂線上の牧平大門は、天照大御神の神勅によって移住した神定の地であるからには、天照大御神をお祭りする皇大神宮内宮から串呂したら必ず重要な地文があるはずである」と考え(理論立て)、その串呂線上に貫線する地文を考証する方法である。

 

すると、「串呂哲学とは(3)串呂哲学経綸の主宰神」で紹介した下記の「皇大神宮内宮」と「牧平大門」の神風串呂のように

「皇大神宮内宮」−「二見浦夫婦岩」「佐久島」−「牧平町大門」となり、「二見浦夫婦岩」と「佐久島」という二つの重要な地文を貫線していて、「我が国二所の宗廟のひとつ皇大神宮内宮の天照大御神が、天皇蒙塵の地・牧平大門において、天の岩戸籠りをした第百代大宝天皇の皇后は佐久姫である(大宝天皇が三浦氏と婚姻関係を結び三浦と名乗った)ことを立証している。」と、理論立てたことを証明することができるというわけである。

 

 

傍証の串呂

上記「蔵王山と三浦山の神風串呂」の串呂線上の一つの地文を、さらに別の起点から貫線して「だめ押し・確認の考証」をすることを傍証といいます。下記の「石清水八幡宮」と「牧平大門」の神風串呂を参照ください。

 

結論を先に申しますと、神風串呂は、実証―論証―傍証と仮に名付けていますが、天地神明の啓示が串呂(地文)を通して縦横無尽に無限にリンクしています。

 

風呂敷はどんなものでも包み込むことのできる便利なものですが、敷島の大和の国は、神が縦横無尽に敷き詰められた串呂の国だと言えるようです。

 

例、「石清水八幡宮」と「牧平大門」の神風串呂

以上の二本の串呂によって、天皇蒙塵の地・牧平大門において、天の岩戸籠りをした第百代大宝天皇の皇后は佐久姫である(大宝天皇が三浦氏と婚姻関係を結び三浦と名乗った)と三浦皇統家系図に記載されていたことが証明されたと思いますが、念のため、さらにわが国二所の宗廟の一つである石清水八幡宮から牧平大門に串呂して見ると下記のようになります。


「和気町」−「吉永中」−「竜子」−「石清水八幡宮」−「牧平町大門」−「佐久」−「藤太夫島」−「安房大神宮」

 

【串呂の解釈】
岡崎市牧平町大門は、大宝天皇(美良)が、三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称して民伍に隠れた天皇蒙塵の地であると、石清水八幡宮と安房大神宮が鑑定している。

 

【地文の解釈】(地図がリンクしてあります。)

和気町(わけ町・岡山県和気郡) 和気は、往昔、国体を変革せんとした弓削道鏡の企てを阻止した大忠臣・和気清麻呂公(護王大明神)の和気で、国体護持の護王精神を表します。三浦芳聖は、天皇に関する串呂では「正真正銘の天皇をあらわし(この和気の反対語は弓削)また、応神天皇の御名が「品陀和気(ほんだわけ)」ですから、之にも通ずることになると述べています。

 

吉永中(よしながなか・岡山県備前市吉永町) 吉永町は大宝天皇の諱(いみな)美良(よしなが)の諺文であります。吉永町吉永中は、吉永町の中心地区です。

 

竜子(りゅうこ・兵庫県たつの市揖西町)

たつの市揖西町龍子は、「たつのし いっさいちょう りゅうこ」と発音します。「たつの市」は町村合併の前は「龍野市」と書きました。「龍子」は「辰年の子」という意味に解釈できますが、「龍顔・龍駕・龍車・龍徳」などの言葉が示すように、龍は天子(天皇)の権威すなわち王権の象徴ですので、「天から王権を授与された者=天子」であるのと同様に「龍から王権を授与された者=龍子」と捉え、「龍子=天子・天皇」と解読します。そこで「龍子は天皇をあらわす」と解釈することもできます。地名の読み方が不明だったためか、三浦芳聖は、「りゅうし」と読んでいました。

 

石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう、京都府八幡市八幡高坊)  石清水八幡宮(ウィキペディア)
石清水八幡宮といえば、戦前は我が国の二所の宗廟と言われ、朝廷から、伊勢の皇太神宮と並んで大変尊崇された官幣大社で「国体明徴」の神様です。現在も毎年9月15日に勅旨が参向して勅祭が行われています。石清水八幡宮の御祭神は、御本殿中央に八幡大神「誉田別尊(ほんだわけのみこと)=第十五代応神天皇」を、西に比賣大神(ひめおおかみ)東に神功皇后(息長帯比賣命)をお祀りしています。この石清水八幡宮の創建は平安時代初めの八五九年(貞観元年)大安寺の行教という僧が豊前国(今の大分県)の宇佐宮に参篭した時に「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という八幡大神の御託宣(お告げ)を蒙り、同年男山の峯に八幡三所の神霊を奉安申し上げたことに始まります。『承久記』には「日本国の帝位は伊勢天照太神・八幡大菩薩の御計ひ」と記されている。

 

牧平町大門(まきひらちょうだいもん、愛知県岡崎市牧平町大門)
大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。三浦家の系図によれば、大宝天皇は、享徳3年甲戌(西暦1454年)この地に移住し、皇后三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称した。牧平町大門は天照大御神が五皇一体の八幡大明神の降誕予定地として指定された「日本天皇蒙塵(もうじん)の地」であり、大宝天皇以降、三浦家累代 450年間の住居であり、三浦芳聖の降誕地であります。

佐久(さく・静岡県浜松市天竜区) 大宝天皇皇后「三浦佐久姫」をあらわす地文。三浦佐久姫は、三浦義勝五世の嫡孫、楠木正成六世の孫。父は三浦宗明、母は楠木正親の女・冬子。『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(291頁)には「皇后富士大宮司三浦氏の第六十一世の嫡女三浦佐久姫」とあります。

 

藤太夫島(とうだゆうじま・静岡県藤枝市本郷) 大宝天皇の後称「三浦藤太夫」をあらわす地文。

 

安房大神宮(あわだいじんぐう、千葉県館山市大神宮)
皇室ゆかりの元官幣大社。天太玉命(アメノフトダマノミコト)、天富命(アメノトミノミコト)を始めとする神武天皇のご東征時代、即ち日本建国の為にご活躍された神々をお祭りする由緒ある神社です。神社のHPには安房神社となっていますが、千葉県館山市大神宮の地名が語っているように、この神社の通称は「安房大神宮」です。

 

 


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