2009.11.24 Tuesday
「皇大神宮内宮」と「松良天皇御陵」の神風串呂
前回に引き続いて神皇正統第99代松良天皇(正良)の神風串呂をご紹介します。このブログは、その性質上、随時更新していますので、「ブログ検索等の二次的な記事」をご覧の方は、このブログの「最新記事」をご覧頂くようご案内します。
三浦芳聖は、「皇大神宮内宮」(三重県伊勢市)と「松良天皇御陵・八幡大明神」(愛知県豊川市御油町)とを串線すると、次の様な神風串呂になると述べています。
「和田」(三重県熊野市五郷町)−「相賀神社」(三重県北牟婁郡紀北町海山区相賀)−「皇大神宮内宮」(三重県伊勢市)−「松良天皇御陵・八幡大明神」(愛知県豊川市御油町)−「高松」(愛知県新城市作手)−「辰之戸」(静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家)−「和田」(山梨県甲府市)−「日向」(埼玉県秩父市浦山)−「黒田」(埼玉県深谷市)−「御稜威ヶ原」(埼玉県熊谷市)−「高松」(栃木県足利市高松町)−「大門」(栃木県佐野市並木町)−「菊川」(佐野市堀米町)−「太田」(栃木県塩谷郡高根沢町)−「大金」(栃木県那須烏山市)−「薬師岳」(栃木県那須郡那珂川町健武)
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第6章253頁、住所は現在のものに改め、一部研究の成果を盛込んだ)
【地文のみ掲載】
「和田」−「相賀神社」−「皇大神宮内宮」−「松良天皇御陵・八幡大明神」−「高松」−「辰之戸」−「和田」−「日向」−「黒田」−「御稜威ヶ原」−「高松」−「大門」−「菊川」−「太田」−「大金」−「薬師岳」
【串呂の解釈】
豊川市御油町の御坊塚(八幡大明神)は、二黒土星の母から降誕した、六白金星辰年の大物である「松良天皇および三浦芳聖」の霊験あらたかな御陵であると皇大神宮内宮の天照大御神が立証している。
「皇大神宮内宮」−「松良天皇御陵・八幡大明神」−「御稜威ヶ原」の神秘的な神風串呂である。この神風串呂から推察すると、「松良天皇御陵・八幡大明神」は、将来、霊験あらたかな大神宮として、日本はもちろん世界中の人々から崇拝される時代が来るであろう。
【地文の解釈】
(1)和田は、松良天皇の串呂上の符号。松良天皇の符号が和田であるのは、愛知県豊橋市石巻本町「和田」地内に松良天皇の玉川御所があったことに由来する。現在も「御所」の地名が残存している。他の「和田」とで和田二串(ふたぐし)の神風串呂を形成している。松良天皇の父・小松天皇の串呂上の符号は「大和田」。
「和田」については、下記の神風串呂を参照ください。
イ、「多賀大社」と「松良天皇御陵」の神風串呂
「卍正善寺」−「和田」−「和田野」−「阿弥陀山」−「多賀大社」−「松永」−「上地八幡宮」−「願成寺」−「天皇」−「松良天皇御陵」−「三浦芳聖晩年の住所・終焉の地」−「和田」−「和田」
ロ、松良天皇の「御名」「松永」「和田三串」の神風串呂
「和田」−「和田」−「天王」−「和田北」−「多賀」−「御名」−「松永」
【参考資料】
「東三河の伝承(14)」
前田 豊著『古代神都 東三河―日本の源流』第20章長慶天皇のこと (1996/4)
(2)相賀神社(あいがじんじゃ)は、國常立尊・國狹槌尊・譽田別命を祭神とする神社で、この神風串呂の守護神。「相賀」(あいが)は、文字通り共に祝う、祝福するの意味をあらわす。相賀南交差点の東南部にある。 地図
【参考資料】八幡祭について
紀北町海山区の相賀地区と引本地区で今年1年の大漁や豊作、無病息災を祈願する「八幡祭」(相賀神社 引本神社 大白神社) が行われます。
(3)皇大神宮内宮(串呂起点) 神宮
皇祖天照大御神をお祭りするわが国二所の宗廟の一つで重要串呂起点(基点)のひとつ。『承久記』には「日本国の帝位は伊勢天照太神・八幡大菩薩の御計ひ」と記されています。その「伊勢天照太神」に「松良天皇御陵」を鑑定して頂くという設定での神風串呂です。ちなみに、皇大神宮内宮はなぜ伊勢にあるのか?の問いには、神風串呂を構築するため!と言い得るかと思います。
(4)松良天皇御陵は、神皇正統第99代松良天皇の御陵であるとともに、現在は、三浦芳聖を祭る「八幡大明神」(三浦家墓地)である。
青木文献によれば、「寛成親王の皇子松良親王は三州五井美吉原に落ち給う。薬師寺建立の開基成り。成龍と号し給う。成龍は応永二十四年五月、御坊に崩ず」(原文はすべて漢字)。とあり、「御坊塚」(ごぼうづか)と呼ばれ、建立以来今日まで、三浦家の当主が管理している。三浦芳聖も幼年のころ、父親に連れられて参拝したことがあると述べている。この御陵を守護するかのように見事な榎の大樹が茂っている。大宝天皇が植樹されたものであれば、樹齢は592年以上ということになる。おそらくそうだと思う。現在は三浦家の墓地となっていて、三浦芳聖もこの地に眠っている。地図で「八幡大明神」となっているのは、昭和40年代末に、三浦芳聖を祭るお社(やしろ)が建立され、「天照大御神之天津日嗣之天子正八幡大明神芳聖天皇大御神之御陵」と書かれた木標が立てられていたからである。この松良天皇御陵のすぐ東北部は、旧東海道が通っていて、1944年天然記念物に指定された御油の松並木で有名なところである。
松良天皇御陵については、下記の神風串呂を参照下さい。
「多賀大社」と「松良天皇御陵」の神風串呂
「卍正善寺」−「和田」−「和田野」−「阿弥陀山」−「多賀大社」−「松永」−「上地八幡宮」−「願成寺」−「天皇」−「松良天皇御陵」−「三浦芳聖晩年の住所・終焉の地」−「和田」−「和田」

(豊川市御油町筑前ケ谷 クリックすると拡大します)
(5)高松は、三浦芳聖の符号。
高松=尊良+松良で、尊良天皇、松良天皇、再現・三浦芳聖の串呂の符号です(尊良天皇・松良天皇・三浦芳聖は三人とも甲辰年陰暦8月8日の降誕ゆえ)。甲辰年の甲は「きのえ」と読み、「木の兄」と書きます。木・火・土・金・水の五行の木星ゆえ「松」が当てられているものと拝察します。松=木+公。公(おおやけ)には、天皇の意味があります(大辞林)。 また、大正8年1月27日の大本教の「みろくの神代の初春ぞ」「雲井に高き高松の八重の玉垣いと赤き」「東邦朔の九千年栄え三浦の皇統家は」「神代の姿備わりて」とある、有名なお筆先の「高松」です。
この愛知県新城市作手の「高松」は
「弥勒」(長野県伊那市高遠町長藤)−「高松」(長野県飯田市)−「高松」(新城市作手)−「三浦芳聖晩年の住居・終焉の地」(豊川市諏訪二丁目)−「高松」(愛知県田原市)の高松三串の高松のひとつです。
(6)辰之戸は、「辰年の人物を隠した=辰年の人物の御陵・墓地」の意味をあらわす。串呂哲学では、「戸」は隠す意味の隠文。
【参考資料】
浜松市天竜区水窪町奥領家の木地屋の墓 (キジヤノハカ)の所在地の辺りを辰之戸という。この木地屋の墓には正面に16弁の菊花の紋を配し、銘がきざまれているという。浜松市の観光スポットになっている。昭和40年頃の地図には辰之戸が印刷されていたが、現在地図検索で調べても載っていない。 木地屋の墓 地図
(7)和田は、松良天皇の符号。他の和田とで和田二串の神風串呂を形成している。
(8)日向は、神皇正統の天皇をあらわす隠文。
(9)黒田は、二黒土星の母をあらわす隠文。松良天皇の母「小室門院元子内親王」は、1341年(興国元年)二黒土星辛巳年降誕。三浦芳聖の母「元子」は、1881年(明治14年)二黒土星辛巳年(5月10日)生誕。ともに「黒田」である。
(10)御稜威ヶ原(みいずがはら)は、松良天皇の御陵(三浦芳聖を祀る八幡大明神)の御威光をあらわす。将来、松良天皇の御陵(三浦芳聖を祀る八幡大明神)は、大神宮が建立され、霊験あらたかな大社として、世界中の人々から崇拝されることになるであろう。
【参考資料】
御稜威(みいつ)は、「御威光」「御威勢」「御威徳」などの意味を表し「天皇や神などの威光や霊力」の意味で用いられた言葉。「みいず」と発音する。
(11)高松は、三浦芳聖の符号。他の高松とで高松二串の神風串呂を形成している。
(12)大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。ここでは、松良天皇(八幡大明神三浦芳聖)が神皇正統の天子であることを昭示する地文。
(13)菊川は、皇室をあらわす隠文。
(14)太田は、松良天皇の母「小室門院元子内親王」の霊統・霊格をあらわす地文。(天皇の)母の霊統・霊格をあらわす地文には「太田(大田)」(天照大御神)、「中田」(万幡豊秋津媛命)があり、この二つ以外は「小田」であらわされる。藤原石山氏の研究によれば、「小室門院元子内親王は、東海の女王とあがめられた」という。三浦芳聖の同上著29頁には、〔「小室門院」に「天照大御神」が神懸かり給いて「松良天皇」が御降誕されたものと思われます。〕と書かれてある。
「三浦」(奈良県十津川村)と「守義」(新城市)の神風串呂を参照ください。
「三浦」−「守義」−「中田」−「聖岳」−「鏡」
(15)大金は、六白金星の大物をあらわす。松良天皇(1364年8月8日)も三浦芳聖(1904年9月17日・陰暦8月8日)もともに六白金星甲辰年生まれである。
(16)薬師岳は、薬師如来のことであるが、ここでは、松良天皇(八幡大明神三浦芳聖)をあらわす。
【参考資料】
イ、松良天皇は、萬松山大通寺の薬師堂を開基したように、薬師如来と非常に縁が深い。
ロ、三浦家の系図には「大宝天皇」が父・松良天皇と遠祖・尊良天皇がともに陰暦8月8日(お薬師さんの正当日=縁日)の降誕ゆえ、薬師如来とし、それぞれの皇后を毘沙門天として岡崎市寺野の薬師堂に隠祀したと記されてあったという。八幡大明神三浦芳聖も陰暦8月8日降誕である。

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三浦芳聖は、「皇大神宮内宮」(三重県伊勢市)と「松良天皇御陵・八幡大明神」(愛知県豊川市御油町)とを串線すると、次の様な神風串呂になると述べています。
「和田」(三重県熊野市五郷町)−「相賀神社」(三重県北牟婁郡紀北町海山区相賀)−「皇大神宮内宮」(三重県伊勢市)−「松良天皇御陵・八幡大明神」(愛知県豊川市御油町)−「高松」(愛知県新城市作手)−「辰之戸」(静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家)−「和田」(山梨県甲府市)−「日向」(埼玉県秩父市浦山)−「黒田」(埼玉県深谷市)−「御稜威ヶ原」(埼玉県熊谷市)−「高松」(栃木県足利市高松町)−「大門」(栃木県佐野市並木町)−「菊川」(佐野市堀米町)−「太田」(栃木県塩谷郡高根沢町)−「大金」(栃木県那須烏山市)−「薬師岳」(栃木県那須郡那珂川町健武)
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第6章253頁、住所は現在のものに改め、一部研究の成果を盛込んだ)
【地文のみ掲載】
「和田」−「相賀神社」−「皇大神宮内宮」−「松良天皇御陵・八幡大明神」−「高松」−「辰之戸」−「和田」−「日向」−「黒田」−「御稜威ヶ原」−「高松」−「大門」−「菊川」−「太田」−「大金」−「薬師岳」
【串呂の解釈】
豊川市御油町の御坊塚(八幡大明神)は、二黒土星の母から降誕した、六白金星辰年の大物である「松良天皇および三浦芳聖」の霊験あらたかな御陵であると皇大神宮内宮の天照大御神が立証している。
「皇大神宮内宮」−「松良天皇御陵・八幡大明神」−「御稜威ヶ原」の神秘的な神風串呂である。この神風串呂から推察すると、「松良天皇御陵・八幡大明神」は、将来、霊験あらたかな大神宮として、日本はもちろん世界中の人々から崇拝される時代が来るであろう。
【地文の解釈】
(1)和田は、松良天皇の串呂上の符号。松良天皇の符号が和田であるのは、愛知県豊橋市石巻本町「和田」地内に松良天皇の玉川御所があったことに由来する。現在も「御所」の地名が残存している。他の「和田」とで和田二串(ふたぐし)の神風串呂を形成している。松良天皇の父・小松天皇の串呂上の符号は「大和田」。
「和田」については、下記の神風串呂を参照ください。
イ、「多賀大社」と「松良天皇御陵」の神風串呂
「卍正善寺」−「和田」−「和田野」−「阿弥陀山」−「多賀大社」−「松永」−「上地八幡宮」−「願成寺」−「天皇」−「松良天皇御陵」−「三浦芳聖晩年の住所・終焉の地」−「和田」−「和田」
ロ、松良天皇の「御名」「松永」「和田三串」の神風串呂
「和田」−「和田」−「天王」−「和田北」−「多賀」−「御名」−「松永」
【参考資料】
「東三河の伝承(14)」
前田 豊著『古代神都 東三河―日本の源流』第20章長慶天皇のこと (1996/4)
(2)相賀神社(あいがじんじゃ)は、國常立尊・國狹槌尊・譽田別命を祭神とする神社で、この神風串呂の守護神。「相賀」(あいが)は、文字通り共に祝う、祝福するの意味をあらわす。相賀南交差点の東南部にある。 地図
【参考資料】八幡祭について
紀北町海山区の相賀地区と引本地区で今年1年の大漁や豊作、無病息災を祈願する「八幡祭」(相賀神社 引本神社 大白神社) が行われます。
(3)皇大神宮内宮(串呂起点) 神宮
皇祖天照大御神をお祭りするわが国二所の宗廟の一つで重要串呂起点(基点)のひとつ。『承久記』には「日本国の帝位は伊勢天照太神・八幡大菩薩の御計ひ」と記されています。その「伊勢天照太神」に「松良天皇御陵」を鑑定して頂くという設定での神風串呂です。ちなみに、皇大神宮内宮はなぜ伊勢にあるのか?の問いには、神風串呂を構築するため!と言い得るかと思います。
(4)松良天皇御陵は、神皇正統第99代松良天皇の御陵であるとともに、現在は、三浦芳聖を祭る「八幡大明神」(三浦家墓地)である。
青木文献によれば、「寛成親王の皇子松良親王は三州五井美吉原に落ち給う。薬師寺建立の開基成り。成龍と号し給う。成龍は応永二十四年五月、御坊に崩ず」(原文はすべて漢字)。とあり、「御坊塚」(ごぼうづか)と呼ばれ、建立以来今日まで、三浦家の当主が管理している。三浦芳聖も幼年のころ、父親に連れられて参拝したことがあると述べている。この御陵を守護するかのように見事な榎の大樹が茂っている。大宝天皇が植樹されたものであれば、樹齢は592年以上ということになる。おそらくそうだと思う。現在は三浦家の墓地となっていて、三浦芳聖もこの地に眠っている。地図で「八幡大明神」となっているのは、昭和40年代末に、三浦芳聖を祭るお社(やしろ)が建立され、「天照大御神之天津日嗣之天子正八幡大明神芳聖天皇大御神之御陵」と書かれた木標が立てられていたからである。この松良天皇御陵のすぐ東北部は、旧東海道が通っていて、1944年天然記念物に指定された御油の松並木で有名なところである。
松良天皇御陵については、下記の神風串呂を参照下さい。
「多賀大社」と「松良天皇御陵」の神風串呂
「卍正善寺」−「和田」−「和田野」−「阿弥陀山」−「多賀大社」−「松永」−「上地八幡宮」−「願成寺」−「天皇」−「松良天皇御陵」−「三浦芳聖晩年の住所・終焉の地」−「和田」−「和田」

(豊川市御油町筑前ケ谷 クリックすると拡大します)
(5)高松は、三浦芳聖の符号。
高松=尊良+松良で、尊良天皇、松良天皇、再現・三浦芳聖の串呂の符号です(尊良天皇・松良天皇・三浦芳聖は三人とも甲辰年陰暦8月8日の降誕ゆえ)。甲辰年の甲は「きのえ」と読み、「木の兄」と書きます。木・火・土・金・水の五行の木星ゆえ「松」が当てられているものと拝察します。松=木+公。公(おおやけ)には、天皇の意味があります(大辞林)。 また、大正8年1月27日の大本教の「みろくの神代の初春ぞ」「雲井に高き高松の八重の玉垣いと赤き」「東邦朔の九千年栄え三浦の皇統家は」「神代の姿備わりて」とある、有名なお筆先の「高松」です。
この愛知県新城市作手の「高松」は
「弥勒」(長野県伊那市高遠町長藤)−「高松」(長野県飯田市)−「高松」(新城市作手)−「三浦芳聖晩年の住居・終焉の地」(豊川市諏訪二丁目)−「高松」(愛知県田原市)の高松三串の高松のひとつです。
(6)辰之戸は、「辰年の人物を隠した=辰年の人物の御陵・墓地」の意味をあらわす。串呂哲学では、「戸」は隠す意味の隠文。
【参考資料】
浜松市天竜区水窪町奥領家の木地屋の墓 (キジヤノハカ)の所在地の辺りを辰之戸という。この木地屋の墓には正面に16弁の菊花の紋を配し、銘がきざまれているという。浜松市の観光スポットになっている。昭和40年頃の地図には辰之戸が印刷されていたが、現在地図検索で調べても載っていない。 木地屋の墓 地図
(7)和田は、松良天皇の符号。他の和田とで和田二串の神風串呂を形成している。
(8)日向は、神皇正統の天皇をあらわす隠文。
(9)黒田は、二黒土星の母をあらわす隠文。松良天皇の母「小室門院元子内親王」は、1341年(興国元年)二黒土星辛巳年降誕。三浦芳聖の母「元子」は、1881年(明治14年)二黒土星辛巳年(5月10日)生誕。ともに「黒田」である。
(10)御稜威ヶ原(みいずがはら)は、松良天皇の御陵(三浦芳聖を祀る八幡大明神)の御威光をあらわす。将来、松良天皇の御陵(三浦芳聖を祀る八幡大明神)は、大神宮が建立され、霊験あらたかな大社として、世界中の人々から崇拝されることになるであろう。
【参考資料】
御稜威(みいつ)は、「御威光」「御威勢」「御威徳」などの意味を表し「天皇や神などの威光や霊力」の意味で用いられた言葉。「みいず」と発音する。
(11)高松は、三浦芳聖の符号。他の高松とで高松二串の神風串呂を形成している。
(12)大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。ここでは、松良天皇(八幡大明神三浦芳聖)が神皇正統の天子であることを昭示する地文。
(13)菊川は、皇室をあらわす隠文。
(14)太田は、松良天皇の母「小室門院元子内親王」の霊統・霊格をあらわす地文。(天皇の)母の霊統・霊格をあらわす地文には「太田(大田)」(天照大御神)、「中田」(万幡豊秋津媛命)があり、この二つ以外は「小田」であらわされる。藤原石山氏の研究によれば、「小室門院元子内親王は、東海の女王とあがめられた」という。三浦芳聖の同上著29頁には、〔「小室門院」に「天照大御神」が神懸かり給いて「松良天皇」が御降誕されたものと思われます。〕と書かれてある。
「三浦」(奈良県十津川村)と「守義」(新城市)の神風串呂を参照ください。
「三浦」−「守義」−「中田」−「聖岳」−「鏡」
(15)大金は、六白金星の大物をあらわす。松良天皇(1364年8月8日)も三浦芳聖(1904年9月17日・陰暦8月8日)もともに六白金星甲辰年生まれである。
(16)薬師岳は、薬師如来のことであるが、ここでは、松良天皇(八幡大明神三浦芳聖)をあらわす。
【参考資料】
イ、松良天皇は、萬松山大通寺の薬師堂を開基したように、薬師如来と非常に縁が深い。
ロ、三浦家の系図には「大宝天皇」が父・松良天皇と遠祖・尊良天皇がともに陰暦8月8日(お薬師さんの正当日=縁日)の降誕ゆえ、薬師如来とし、それぞれの皇后を毘沙門天として岡崎市寺野の薬師堂に隠祀したと記されてあったという。八幡大明神三浦芳聖も陰暦8月8日降誕である。
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