串呂哲学研究ノート

神皇正統家に極秘で伝承された、地文に秘められた皇統史「神風串呂(串呂哲学)」を紹介しながら、日本神界の経綸を研究・考察していきます。興味のある方は挙って参加してください。ご一緒に研究・考察しましょう。
二所の宗廟から牧平大門を鑑る!「藤太夫島」 と「佐久島」(研究ノート癸粥

目次

1、神定の蒙塵の地「牧平大門」

2、三浦家の古記録から(予備知識)

3、二所の宗廟から牧平大門に串呂する

(1)皇大神宮内宮から牧平大門への串呂

(2)石清水八幡宮から牧平大門への串呂

(3)この二つの串呂の哲学的考察

 

1,神定の蒙塵の地「牧平大門」

「正統天皇が天の岩戸篭もりし三浦と名乗った!(研究ノート癸魁法で、神皇正統最後の大宝天皇(美良)が、天照大御神の御神諭のまにまに愛知県岡崎市牧平町大門に移住し、皇后佐久姫の姓を名乗って三浦藤太夫と称し、純然たる百姓となったことをご紹介しました。その移住の目的は、「串呂哲学とは (1) 串呂哲学研究ノート癸院でご紹介しました 【予備知識】にあるように「大宝天皇が大般若600巻を念書され、後世直系皇孫に神武・応神・後嵯峨・後村上・松良、五皇一体の八幡大明神を降誕せしめて必ず天下を平定し給わん事をと、皇威回復を熱祷祈願された」その「五皇一体の八幡大明神の降誕の時を待つため」でした。

 

三浦家の系図によれば、牧平大門は天照大御神が五皇一体の八幡大明神の降誕予定地として指定された「日本天皇蒙塵(もうじん)の地」であります。大宝天皇は、享徳3年甲戌(西暦1454年)この地に移住し、皇后三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称した。爾来、三浦家累代450年間の住居であり、三浦芳聖の降誕地でもあります。この項では、二所の宗廟(皇大神宮と石清水八幡宮)からこの天照大御神の神定の地「牧平大門」を鑑定する神風串呂のご紹介です!

 

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https://note.mu/quanro/n/n55d6bc9c1911

 

 

神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)
後醍醐天皇
−尊良天皇−興国天皇−小室門院¬
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−大宝天皇−−−−−三浦芳聖
−義良親王――――――寛成親王−綾子皇后−大宝天皇
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−光良親王−−−−睦仁親王

 

 

神皇正銃の天皇が天の岩戸篭りした事が地文に秘められていると理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。

 


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