串呂哲学研究ノート

神皇正統家に極秘で伝承された、地文に秘められた皇統史「神風串呂(串呂哲学)」を紹介しながら、日本神界の経綸を研究・考察していきます。興味のある方は挙って参加してください。ご一緒に研究・考察しましょう。
尊良天皇御陵と与位との神風串呂(串呂哲学研究ノート38)
「獅子」の位を付与された尊良天皇

島根県飯石郡飯南町に「獅子」(しし)というユニークな地名があります。百獣の王ライオンを意味する地名ですが、串呂では、この「獅子」は「百獣の王=天皇」と解釈いたします。

今回は、どんな位が与えられているかを鑑定する「与位」(兵庫県宍粟市山崎町)と「尊良天皇御陵」(京都市左京区南禅寺下河原町)とを結ぶ神風串呂をご紹介します。

この続きはこちらから
https://note.com/quanro/n/na4088b605b29


 
神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)
後醍醐天皇
−尊良天皇−興国天皇−小室門院¬
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−大宝天皇−−−−−三浦芳聖
−義良親王――――――寛成親王−綾子皇后−大宝天皇
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−光良親王−−−−睦仁親王

 

神皇正銃の天皇が天の岩戸篭りした事が地文に秘められていると理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。

 

| 尊良天皇 | 15:00 | comments(0) | - | pookmark |
後醍醐天皇御陵と金崎神宮との神風串呂 (串呂哲学研究ノート37)
授禅(譲位)を表わす串呂の地文「親の谷」
奈良県十津川村に雌滝・雄滝で有名な「親の谷」という地名が有ります。「親之谷」とも表記しますが、日本国内唯一のユニークな地名です。
串呂哲学では、この地名は、授禅(譲位)を表わす地文であるというのです。

また和歌山県東牟婁郡古座川町に「一雨」という地名があります。難読地名のひとつで、地元の人以外は読めないでしょう。もちろん「ひとあめ」ではありません。

今回は、吉野の「後醍醐天皇御陵」と敦賀市の「⛩金崎宮」(金崎神宮と尊称)との神風串呂をご紹介します。
この続きはこちらから
https://note.com/quanro/n/nfb154451a454
 
神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)
後醍醐天皇
−尊良天皇−興国天皇−小室門院¬
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−大宝天皇−−−−−三浦芳聖
−義良親王――――――寛成親王−綾子皇后−大宝天皇
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−光良親王−−−−睦仁親王

 

神皇正銃の天皇が天の岩戸篭りした事が地文に秘められていると理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。

 

| 尊良天皇 | 14:02 | comments(0) | - | pookmark |
「石清水八幡宮」と「金ヶ崎神宮」の神風串呂(串呂哲学研究ノート36)
新田義貞を祭る「⛩藤島神社」建立の経緯

南朝の大忠臣「新田義貞」を祭る「⛩藤島神社」(福井市毛矢)が建立された経緯を調べると、(1)義貞の兜鉢(かぶとばち)が発掘された福井市新田塚町から(2)福井市牧の町に遷座され、(3)明治34年(1901年)現在地に再度遷座されていることが分かりました。(詳細後述)

このような経緯によって現在地に建立されるまで、用地取得の件や自然災害に遭いやすい環境などの諸事情があったかと思いますが、串呂哲学から見ますと、串呂主宰神の青写真に基づいて現在地に遷座されたという事です。

今回は、応神天皇を祭神とする「⛩石清水八幡宮」から「⛩金崎宮」(神宮と尊称)を鑑定して頂くという視点での神風串呂をご紹介します。
この続きはこちらから
https://note.com/quanro/n/nd7ebb6190995
 
神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)
後醍醐天皇
−尊良天皇−興国天皇−小室門院¬
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−大宝天皇−−−−−三浦芳聖
−義良親王――――――寛成親王−綾子皇后−大宝天皇
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−光良親王−−−−睦仁親王

 

神皇正銃の天皇が天の岩戸篭りした事が地文に秘められていると理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。

 

| 尊良天皇 | 11:57 | comments(0) | - | pookmark |
縦横無尽にリンクしている神風串呂の世界(串呂哲学研究ノート35)
串呂主宰神が設計された「青写真」に従って構築された、神風串呂の世界は、幾何学のように精密かつ論理的で、その上、縦横無尽にリンクしていて、とどまる所を知りません!

本日は、串呂が縦横無尽にリンクしている状況を少しだけご紹介します。
この続きはこちらから
https://note.com/quanro/n/nfba0921a23b3
 
神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)
後醍醐天皇
−尊良天皇−興国天皇−小室門院¬
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−大宝天皇−−−−−三浦芳聖
−義良親王――――――寛成親王−綾子皇后−大宝天皇
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−光良親王−−−−睦仁親王

 

神皇正銃の天皇が天の岩戸篭りした事が地文に秘められていると理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。

 

| 尊良天皇 | 13:41 | comments(0) | - | pookmark |
金崎神宮と尊良天皇御陵とを結ぶ神風串呂 (串呂哲学研究ノート33)
南北朝時代の戦乱を象徴する二つの事件

元弘3年(1333年)、元弘の変で鎌倉幕府を打倒した後醍醐天皇が、親政を開始したことで成立した建武政権は、足利高氏の反乱により瓦解し、南北朝時代の戦乱が始まると、宮様が殺害されたり、自害されたりする悲惨な事件が続出した。

建武2年(1335年)7月、鎌倉の二階堂ヶ谷の東光寺に幽閉されていた護良親王は、足利直義の命を受けた淵辺義博によって首を刎ねられ殺害された。享年数え28歳。お墓とお宮は、鎌倉宮(神奈川県鎌倉市二階堂)。

延元2年3月6日(1337年4月7日)、尊良親王(実は天皇)は、金ケ崎城に於てご自害 。享年数え34歳。その御首が京都に送られ、南禅寺の長老夢窓国師によって葬礼が執り行われた。御陵は、京都市左京区南禅寺下河原町(永観堂前)。お宮は、金崎宮(金崎神宮と尊称、福井県敦賀市金ケ崎町)。

今回は、尊良天皇のお宮(金崎神宮)と御陵とを結ぶ串呂をご紹介します。
この続きはこちらから
https://note.com/notes/n7301e223eec7


神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)
後醍醐天皇
−尊良天皇−興国天皇−小室門院¬
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−大宝天皇−−−−−三浦芳聖
−義良親王――――――寛成親王−綾子皇后−大宝天皇
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−光良親王−−−−睦仁親王

 

神皇正銃の天皇が天の岩戸篭りした事が地文に秘められていると理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。

 

| 尊良天皇 | 12:42 | comments(0) | - | pookmark |
東山天皇(尊良) (串呂哲学研究ノート23)
概説
東山天皇、諱は尊良(たかなが・たかよし)、神皇正統嫡皇孫三浦芳聖の遠祖で、神皇正統第50世の天皇・三浦皇統家第一代の天皇。嘉元2年(1304年)8月8日京都でご降誕。

父は後醍醐天皇、母は御子左の大納言二条為世の女「為子」。皇后は右大臣西園寺公顕の女「藤原清子」。

東山の諡号(贈り名)は、神界から三浦芳聖への霊示による。御陵が京都東山山麓にあることから神界から贈られた。

延元2年(1337年)2月25日(推定)、金ケ崎城に於て、第一皇子守永親王に譲位。

延元2年3月6日(1337年4月7日)金ケ崎城に於てご自害。御陵は京都市左京区南禅寺下河原町。お宮は福井県敦賀市金ケ崎町「金崎宮」。
この続きはこちらから
https://note.com/quanro/n/n67f29eaee8dc

 

神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)
後醍醐天皇
−尊良天皇−興国天皇−小室門院¬
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−大宝天皇−−−−−三浦芳聖
−義良親王――――――寛成親王−綾子皇后−大宝天皇
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−光良親王−−−−睦仁親王

 

神皇正銃の天皇が天の岩戸篭りした事が地文に秘められていると理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。

 

| 尊良天皇 | 14:01 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「元伊勢内宮皇大神社」と「金崎神宮」との神風串呂 (串呂哲学研究ノート21)

京都府福知山市大江町内宮にある「元伊勢内宮皇大神社」は、皇大神宮内宮同様、重要串呂起点であります。

『倭姫命世記』に、「崇神天皇39年、天照太神を奉じた豊鋤入姫命が鎮座地を求めて但波(丹波)国へ遷幸し、吉佐宮を築いて4年間奉斎した」と記されてあるようです。(『ウィキペディア(Wikipedia)』皇大神社 )

天照大御神の各地巡行は、神風串呂を構築する為だったという仮説「神風串呂史観」を「元伊勢内宮皇大神宮」を起点にして「金崎宮」(以下、金崎神宮と尊称)を鑑定する串呂を通じて考察して参ります。

この続きはこちらから

https://note.com/quanro/n/n98bbe0078464

神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)
後醍醐天皇
−尊良天皇−興国天皇−小室門院¬
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−大宝天皇−−−−−三浦芳聖
−義良親王――――――寛成親王−綾子皇后−大宝天皇
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−光良親王−−−−睦仁親王

神皇正銃の天皇が天の岩戸篭りした事が地文に秘められていると理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。

| 尊良天皇 | 20:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
尊良親王が皇位継承者である事を昭示する神風串呂(串呂哲学研究ノート18)
兵庫県加古川市と高砂市の市境に「高御位山・たかみくらやま」という標高304.2mの山があります。日本国内で唯一の超ユニークな地名です。
高御位山は、高御座(たかみくら)を表わす地文で、串呂哲学の世界では、高御座(皇位)についたかどうかを鑑定する重要串呂起点です!
今回紹介する串呂は「高御位山、与位、高甲良山、八尺鏡野」という、日本国内で唯一のユニークな地名が4個も串呂する超不思議な神風串呂です!
南北朝時代史を研究すると、後醍醐天皇が誰に皇位を譲ったかという点で諸説が分かれています。歴史に興味のある方は、インターネットでいくらでも検索できますので、ご自分で勉強して頂くことにして、ここでは、串呂の世界では、後醍醐天皇は誰に皇位を譲ったかという一点に的を絞って考察して参ります!
この続きはこちらから
神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)
後醍醐天皇
−尊良天皇−興国天皇−小室門院¬
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−大宝天皇−−−−−三浦芳聖
−義良親王――――――寛成親王−綾子皇后−大宝天皇
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−光良親王−−−−睦仁親王

 

神皇正銃の天皇が天の岩戸篭りした事が地文に秘められていると理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。
| 尊良天皇 | 09:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< August 2020 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
モバイル
qrcode
PROFILE