串呂哲学研究ノート

三浦芳聖先生が解明された串呂哲学(神風串呂)を学ぶ串呂哲学研究会のブログです。串呂哲学は、日本の精神世界を学ぶことの出来る大変ユニークな学問です。少しずつ学ぶうち、荘厳で神秘的な楽しい宇宙が開けると想います。あなたも共に学びませんか。
橿原神宮と石鏡との神風串呂

本日は、建国記念の日にちなんで、往昔、神武天皇が橿原の宮に即位されたとき、天孫降臨に当たって、天照大御神から授けられたという三種の神宝の一つである「石鏡」を奉戴して即位したことを昭示する神風串呂を紹介します。

 

 

神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)
後醍醐天皇
−尊良天皇−興国天皇−小室門院¬
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−大宝天皇−−−−−三浦芳聖
−義良親王――――――寛成親王−綾子皇后−大宝天皇
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−光良親王−−−−睦仁親王

 


神皇正銃の天皇が天の岩戸篭もリした事が地文に秘められていると
理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。

 

 

未だに被占領状態にある我が国は、どうしたら真の主権を回復できるでしょうか。我が国と国民に、神様が与えた課題とは何でしょうか。この課題を解くには、先ず第一に、被占領の奥にある神の大愛を見出さねばなりません。神様は、わが国と民族に覚醒を求められているのです。私たちには何が欠けているのでしょうか。愛国心でしょうか。独立心でしょうか。いいえ、真実に目覚めることです。

 

 

橿原神宮と石鏡との神風串呂

橿原神宮」(奈良県橿原市畝傍町)−「大神」(奈良県宇陀市菟田野区)−「皇大神宮内宮」(三重県伊勢市宇治館町)−「石鏡」(三重県鳥羽市)
(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』本文61頁)

 

【地文のみ掲載】
「橿原神宮」−「大神」−「皇大神宮内宮」−「石鏡」

 

橿原神宮と石鏡との神風串呂図
(『八幡大明神・弥勒大如来 三浦芳聖第六十六回降誕日を迎えて』50頁より転載)

 

【串呂の解釈】

往昔、神武天皇は橿原の宮に於いて、天照大御神より代々継承した三種の神宝「石鏡」を奉戴して高御座(たかみくら)についた。

 

神宝「御鏡」は、神武天皇が継承したことを昭示する神風串呂です。

往昔神武天皇が橿原の宮に即位されたとき、天孫降臨に当たって、天照大御神から授けられた三種の神宝の一つである「御鏡」を奉戴して即位されたことを昭示する神風串呂です。

 

この串呂は、国土地理院発行の20万分の1の地勢図「和歌山」「伊勢」をつなぎあわせると確認することが出来ます。みなさんも実際に串呂を引いて見てください。

 

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)

(1)橿原神宮(かしはらじんぐう、橿原市畝傍町) 神宮HP

神武天皇を祭神とする元官幣大社。橿原神宮は、祭神・神武天皇が畝傍山の東南・橿原の地に宮を建てられ即位の礼を行われた宮址に、明治23年に創建された元官幣大社。現在も毎年2月11日に勅使が参向して例祭(紀元祭・きげんさい)が行われている。

 

(2)大神(おおがみ、奈良県宇陀市菟田野区) 

大神は、いろんな解釈が出来ますが、ここでは天照大神をあらわすと解読するのが最も適切だろうと思います。

 

(3)皇大神宮内宮(こうたいじんぐうないぐう、伊勢市宇治館町)   神宮HP  

皇祖天照大御神をお祭りするわが国二所の宗廟の一つで七大串呂起点(基点)のひとつ。『承久記』には「日本国の帝位は伊勢天照太神・八幡大菩薩の御計ひ」と記されています。

 

(4)石鏡(いじか、三重県鳥羽市)

神宝「石鏡」をあらわす。石鏡は、三種の神宝のひとつである「鏡」が、元来は石で作られていたことを如実に示している。それは、石凝姥(いしこりどめ)命が、鏡作連(かがみづくりのむらじ)らの祖とされることからも伺われる。この石鏡は後世に青銅鏡となり、最後は黄金鏡になったと思われる(一般の者は見ることは出来ないので類推する外ない)。

 

石鏡とは、往昔神武天皇が橿原の宮に即位されたとき奉戴して高御座についたといわれている神宝のことで、天孫降臨に当たって、天照大御神から授けられた三種の神宝の一つである「御鏡」のことである。

 

古典には、この「御鏡」は、天の岩屋に身を隠した天照大神を天の岩屋からお出まし願うために、「いしこりどめのみこと」(石凝姥命・日本書紀、伊斯許理度売命・古事記)が作ったと書かれてある。

 

伊斯許理度売命を祀る主な神社には、鏡作坐天照御魂神社(奈良県磯城郡) が有名である。

 

 



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| 神武天皇 | 11:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
串呂哲学とは(10)吉永町の奇跡

神皇正統第百代大宝天皇(美良)をあらわす地文の中で、重要地文の一つである岡山県備前市「吉永町」には、三種の神器(大宝)をあらわす「多麻・加賀美・都留岐」という地名が存在するのです。

 

 

神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)
後醍醐天皇
−尊良天皇−興国天皇−小室門院¬
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−大宝天皇−−−−−三浦芳聖
−義良親王――――――寛成親王−綾子皇后−大宝天皇
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−光良親王−−−−睦仁親王

 


神皇正銃の天皇が天の岩戸篭もリした事が地文に秘められていると
理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。

 

(10)吉永町の奇跡

明治維新になって、江戸時代からの庄屋、名主、年寄、大庄屋等が廃止され、その後、明治11年の郡区町村制、明治21年の市制・町村制、明治23年の府県制・郡制と変遷を経て来た町村制で、岡山県備前市「吉永町」(平成17年の町村合併までは和気郡)は昭和23年に英保町が改称されて「吉永町」が成立した(江戸時代から吉永中という村が存在した)。

 

この吉永町は、「串呂哲学とは(8)串呂哲学の解読法 4、実証・論証・傍証の串呂」でご紹介した「石清水八幡宮」と「牧平大門」の神風串呂、「和気町」−「吉永中」−「竜子」−「石清水八幡宮」−「牧平町大門」−「佐久」−「藤太夫島」−「安房大神宮」の「吉永町吉永中」で、神皇正統第百代大宝天皇(美良・ヨシナガ)をあらわす地文です。

 

神秘的なことには、この吉永町に三種の神器をあらわす「多麻、加賀美、都留岐」という地文(地名)が存在することです。吉永町加賀美(かがみ)を中心にして東側に吉永町多麻(たま)、西南側に吉永町都留岐(つるぎ)という地名が隣接しています。

 

岡山県備前市ヤ行

 

 

 

この中の「加賀美」は、明治8年に八塔寺村と下畑村が合併して成立したことが分かっています。なぜこのような地名になったのかという地名の由来については、地元の地名(地誌)研究家に教えを請いたいと思いますが、串呂哲学の立場からは、「多麻、加賀美、都留岐」は、それぞれ串呂哲学上の重要地文であることから、串呂台ともいうべき三浦芳聖が降誕する時期に合わせて、串呂哲学の主宰神である日本神界がそのように名付けたと考えています。

 

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』の巻頭に掲げられた「神皇正統の皇統」の第百代大宝天皇の項に「・・・大般若六百巻ヲ念書シ、三種の神器ヲ埋蔵シ奉ッテ、神皇正統第百代ヲ以テ天之岩戸篭リトシ・・・」とありますように、大宝天皇(美良)と三種の神器は切っても切れない関係にあります。

 

そうしたことを考えますと、大宝天皇(美良)をあらわす重要地文である「備前市吉永町」に三種の神器をあらわす「多麻、加賀美、都留岐」が存在することは、備前市吉永町が、間違いなく大宝天皇をあらわす地文であることを裏付けていると考えることができます。

 

この吉永町の「多麻、加賀美、都留岐」の地名ひとつを取り上げて考察しても、日本坦Δ痢嵜隻串呂」に寄せる思いの深遠さをうかがい知ることが出来ます。

 

そもそも「吉永中」という地名は、一体いつ命名されたのでしょうか。「串呂哲学の淵源とは?」と思いにふけるこの頃です。

 

 

【参考資料】

吉永町(ウィキペディアより転載)

1889年(明治22年)6月1日 、町村制施行に伴い、和気郡英保村が発足。

1948年(昭和23年)10月20日 、和気郡英保村が町制を施行し英保町となる。

1948年(昭和23年)11月1日 、英保町が吉永町に改称。

1954年(昭和29年)3月1日 、和気郡吉永町・神根村・三国村の1町2村が合併し新・吉永町となる。

2005年(平成17年)3月22日 、備前市、和気郡日生町との対等合併により新・備前市となる。

 

岡山の街角から
「八塔寺ふるさと村がある辺りには、独特な地名があります。それが今回ご紹介する吉永町多麻、加賀美、都留岐の地区です。読み方は順番にタマ、カガミ、ツルギ。これは全て三種の神器に由来しています。」と出ています。

 

インターネットの情報によれば、加賀美は明治8年に八塔寺村と下畑村が合併して成立したようです。

吉永町加賀美(八塔寺ふるさと村)の町並 より)

 

 

 


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| - | 10:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
串呂哲学とは(9)串呂哲学の解読法 5、天佑神助

三浦芳聖は、串呂を解明する過程で、神秘的な現象を数多く体験している。いわゆる天佑神助である。霊感・地震・崩落・火災・事故・建造物など、このうち最もユニークなものが串呂研究中にどこからともなく飛来して串呂解明に必要な地文(地名)の上にとまったり、未解明の見えない串呂線上を這って行ったという「串呂の虫」(かんろのむし)の霊示である。

 

 

神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)
後醍醐天皇
−尊良天皇−興国天皇−小室門院¬
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−大宝天皇−−−−−三浦芳聖
−義良親王――――――寛成親王−綾子皇后−大宝天皇
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−光良親王−−−−睦仁親王

 


神皇正銃の天皇が天の岩戸篭もリした事が地文に秘められていると
理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。

5、天佑神助

三浦芳聖は、串呂を解明する過程で、神秘的な現象を数多く体験している。いわゆる天佑神助である。その内の顕著な例を挙げると、神示(霊感・霊視・霊聴・串呂の虫など)・地震・噴火・崩落・火災・事故(交通事故・列車事故・ガス爆発など)・建造物の出現などである。このうちの最もユニークなものが串呂の研究中にどこからともなく飛来して、串呂解明に必要な地文(地名)の上にとまったり、未解明の見えない串呂線上を這って行ったという「串呂の虫」(かんろのむし)の霊示である。

 

ア、神示

皇祖大神(みおやのおおかみ)の霊示による御導きのことである。霊能者であった三浦芳聖に霊感・霊視・霊聴・串呂の虫などで串呂解明のお導きがあった事例は枚挙に暇がないほどである。三浦芳聖が発表した顕著な例をご紹介します。

 

・尊良天皇が登極したこと

三浦芳聖が豊川市諏訪町に住所を移転した昭和25(西暦1950)年、後醍醐天皇が三浦芳聖に神懸りして三浦芳聖の口を使って「後醍醐天皇が皇位を譲ったのは尊良親王である。」という重要事項の霊示があった。

 

・尊良天皇の贈名は「東山天皇」

昭和44年松良天皇御陵での祭祀中に霊示があり、尊良天皇の贈名は「東山天皇」であることを知らされ、串呂の解明により確定した。

 

・睦仁親王は松良天皇の第四皇子・光良親王の王孫

昭和42(1967)年6月15日の月次祭中に御神示があり、「睦仁親王は松良天皇の第四皇子・光良親王の王孫である」ことを知らされ串呂の解明が進んだ。

 

・串呂の虫による解明

三浦芳聖は、串呂哲学を解明する過程で、神秘的な現象を数多く体験している。そのうちの最もユニークなものが「串呂の虫」(かんろのむし)である。この串呂の虫とは、玉虫色の美麗な虫で、三浦芳聖が地図を広げての串呂研究中に、どこからともなく飛来して、串呂解明に必要な地文の上にとまったり、未解明の目に見えぬ串呂線上を這って行ったというのである。一般的には信じ難いことであるが、三浦芳聖は、このように「串呂の虫」があらわれて、重要な地名や串呂を発見したことが度々あったようだ。

 

三浦芳聖が発表した事例を挙げると

「高長」(兵庫県姫路市夢前町・尊良天皇をあらわす地文)を発見する時に、この「串呂の虫」が現れて地名の上にとまったというのである。この「高長」は、尊良天皇が、登極したことを証明する下記の串呂上の重要地文である。

「高長」と「八尺鏡野」の神風串呂

「竹生」−「上野」−「与位」−「高長」−「高御位山」−「高甲良山」−「八尺鏡野」

 

また、「光長」(島根県鹿足郡吉賀町注連川・松良天皇の第四皇子をあらわす地文)を発見する時に、この「串呂の虫」が現れて、地名の上にとまったというのである。

「光長」−「睦仁親王(明治天王)桃山御陵」−「御在所山」−「松永」−「四之宮」

 

この「光長」発見時は、昭和42(1967)年6月15日の月次祭の後、三浦芳聖が門人数十名(南朝史学会・藤原彦人氏同席)と串呂の研究をしている時だったので、居合わせた門人は、この「串呂の虫」を拝見する光栄に浴したようだ。

 

イ、地震

遠祖「小松天皇・皇后元子内親王」の御陵を発見

昭和23(西暦1948)年、静岡県磐田市惣兵衛下新田の松島金一郎家で午後9時頃、祭祀中に地震があり、その瞬間、三浦芳聖の霊眼に静岡県中部の五万分の一の地図が映じ、菊川市(菊川駅南東)の「堀之内」から相良町(牧之原市)の「堀之内」へ筋が引かれ、次に榛原町(牧之原市)の「堀之内」から小笠町の「堀之内」(菊川市河東の堀之内谷か?)へ筋が引かれ、さらに「松島」(島田市金谷町南西)から「鬼女新田」(牧之原市)へ筋が引かれ、三本の筋がほぼ交差する地点に塚が映ったので、この三本の串呂を地図上で引いて交差した三角地点内に小松天皇皇后、小室門院元子内親王の御陵「妙覚塚」(静岡県牧之原市相良町大寄部ヶ谷台上)を発見した。なお、堀之内は御陵の隠文である(古代古墳は、周りに堀が廻らされてある)。

 

ウ、噴火

 1940年(昭和15年)7月、三浦芳聖は、元企画院総裁滝正雄に呼び出され、軽井沢の近衛家の別荘で近衛文麿から東洋平和の方策について意見を求められ面会中であった。三宅島雄山は、7月12日午後7時30分に爆発した。その時、近衛文麿公の前で三宅島雄山を起点にして「大戦防−逆面」の串呂を解明したという。

 

エ、崩落

土砂崩れや崖崩れの事故の時には、「大崩(おくずれ・おおくずれ)」(千葉県安房郡鋸南町山梨県南巨摩郡身延町)を起点にして串呂を引くと、時の神意を知ることができた。

 

オ、火災

火災が起きた時には、「梶(かじ)」(大阪府守口市梶町福井県坂井市三国町梶など)を起点にして串呂を引くと、時の神意を知ることができた。

 

カ、事故

事故が起きた時には「的場(まとば)」(愛知県新城市静岡県駿東郡清水町など多数)を起点にして串呂を引くと、時の神意を知ることができた。

 

キ、建造物

中村公園の大鳥居

 

 

 


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| 串呂哲学 | 11:26 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
串呂哲学とは(8)串呂哲学の解読法 4、実証・論証・傍証の串呂

串呂哲学は、単線のみで恣意的に地文を取上げて独善的な解釈をする弊害を防止するため、縦横無尽に走る複数の串呂によって、実証・論証・傍証の串呂を考証し、多角的・論理的に解釈するのを原則とする。

 

 

神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)
後醍醐天皇
−尊良天皇−興国天皇−小室門院¬
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−大宝天皇−−−−−三浦芳聖
−義良親王――――――寛成親王−綾子皇后−大宝天皇
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−光良親王−−−−睦仁親王

 


神皇正銃の天皇が天の岩戸篭もリした事が地文に秘められていると
理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。

 

実証の串呂

「串呂哲学とは(2)串呂哲学解明の経緯」で紹介した「蔵王山と三浦山の神風串呂」を詳細に考証すると、下記の串呂図の中の

 

串呂図「蔵王山と三浦山の神風串呂」 (クリックすると拡大します)

 

宮路山(みやじさん・愛知県豊川市赤坂町)

大宝天皇が炭焼きに変装して隠れ住んでいた所。大宝2(西暦702)年の持統天皇の御幸を記念して大正6年(1917年)に建立された「宮路山聖跡」の石碑がある。串呂哲学では、この石碑は「大宝天皇が炭焼きに変装して、からくも皇を保した聖跡を記念して天地神明が建立した」と解釈しています。宮路山(ウィキペディア)

 

寺野薬師堂(てらのやくしどう・愛知県岡崎市夏山町) 

大宝天皇が御父・松良天皇を隠祀した勅祭寺・行在所。大宝天皇の隠棲地「切越」から近く、ここで大般若六百巻を念書したと推察される。地元の古老は「ちち薬師」と呼ぶ。お参りすると母乳がよく出る御利益があると言われているが、「ちち」は「御父(ちち)松良天皇」に由来する。大楠で有名。「楠は木+南」で南朝のシンボル。

 

地元の方が発表したHPに「国道1号線・岡崎市本宿町沢渡交差点から国道473号線を北に約9km進むと、寺野集落の大きなカーブの正面崖上にお寺の屋根と大楠が見えます。大楠は、明治27年に周囲2.5mもある大枝が台風で折れた際、その枝が75円という価格で売れたそうです。江戸時代ここには正法寺という寺院がありましたが無住寺となり、その名が消えて今は薬師堂と呼ばれるお堂だけになりました。寺野の大クスは薬師堂のすぐ裏の崖にあり、県下では三番目に大きいクスノキですが、写真のように根を大きく崖面に見せています。これだけの根っ子はなかなかありません。」と出ています。 薬師堂の大楠(愛知県指定文化財)

 

牧平大門(まきひらだいもん、愛知県岡崎市牧平町大門)
大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。三浦家の系図によれば、大宝天皇は、享徳3年甲戌(西暦1454年)この地に移住し、皇后三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称した。牧平町大門は天照大御神が五皇一体の八幡大明神の降誕予定地として指定された「日本天皇蒙塵(もうじん)の地」であり、大宝天皇以降、三浦家累代 450年間の住居であり、三浦芳聖の降誕地であります。

 

以上の3カ所は、大宝天皇が実際にその地を踏んでいる。このように、一本の串呂線上に一カ所以上、実地にその地を踏んだことのある地文(出生地、住居、隠棲地、御陵墓など)が存在する串呂を「実証の串呂」と呼びます。

 

論証の串呂

次にこの串呂線上の一つの地文を別の起点から貫線して考証することを論証と呼ぶ。上記の「蔵王山と三浦山の神風串呂」でいうと、「この串呂線上の牧平大門は、天照大御神の神勅によって移住した神定の地であるからには、天照大御神をお祭りする皇大神宮内宮から串呂したら必ず重要な地文があるはずである」と考え(理論立て)、その串呂線上に貫線する地文を考証する方法である。

 

すると、「串呂哲学とは(3)串呂哲学経綸の主宰神」で紹介した下記の「皇大神宮内宮」と「牧平大門」の神風串呂のように

「皇大神宮内宮」−「二見浦夫婦岩」「佐久島」−「牧平町大門」となり、「二見浦夫婦岩」と「佐久島」という二つの重要な地文を貫線していて、「我が国二所の宗廟のひとつ皇大神宮内宮の天照大御神が、天皇蒙塵の地・牧平大門において、天の岩戸籠りをした第百代大宝天皇の皇后は佐久姫である(大宝天皇が三浦氏と婚姻関係を結び三浦と名乗った)ことを立証している。」と、理論立てたことを証明することができるというわけである。

 

 

傍証の串呂

上記「蔵王山と三浦山の神風串呂」の串呂線上の一つの地文を、さらに別の起点から貫線して「だめ押し・確認の考証」をすることを傍証といいます。下記の「石清水八幡宮」と「牧平大門」の神風串呂を参照ください。

 

結論を先に申しますと、神風串呂は、実証―論証―傍証と仮に名付けていますが、天地神明の啓示が串呂(地文)を通して縦横無尽に無限にリンクしています。

 

風呂敷はどんなものでも包み込むことのできる便利なものですが、敷島の大和の国は、神が縦横無尽に敷き詰められた串呂の国だと言えるようです。

 

例、「石清水八幡宮」と「牧平大門」の神風串呂

以上の二本の串呂によって、天皇蒙塵の地・牧平大門において、天の岩戸籠りをした第百代大宝天皇の皇后は佐久姫である(大宝天皇が三浦氏と婚姻関係を結び三浦と名乗った)と三浦皇統家系図に記載されていたことが証明されたと思いますが、念のため、さらにわが国二所の宗廟の一つである石清水八幡宮から牧平大門に串呂して見ると下記のようになります。


「和気町」−「吉永中」−「竜子」−「石清水八幡宮」−「牧平町大門」−「佐久」−「藤太夫島」−「安房大神宮」

 

【串呂の解釈】
岡崎市牧平町大門は、大宝天皇(美良)が、三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称して民伍に隠れた天皇蒙塵の地であると、石清水八幡宮と安房大神宮が鑑定している。

 

【地文の解釈】(地図がリンクしてあります。)

和気町(わけ町・岡山県和気郡) 和気は、往昔、国体を変革せんとした弓削道鏡の企てを阻止した大忠臣・和気清麻呂公(護王大明神)の和気で、国体護持の護王精神を表します。三浦芳聖は、天皇に関する串呂では「正真正銘の天皇をあらわし(この和気の反対語は弓削)また、応神天皇の御名が「品陀和気(ほんだわけ)」ですから、之にも通ずることになると述べています。

 

吉永中(よしながなか・岡山県備前市吉永町) 吉永町は大宝天皇の諱(いみな)美良(よしなが)の諺文であります。吉永町吉永中は、吉永町の中心地区です。

 

竜子(りゅうこ・兵庫県たつの市揖西町)

たつの市揖西町龍子は、「たつのし いっさいちょう りゅうこ」と発音します。「たつの市」は町村合併の前は「龍野市」と書きました。「龍子」は「辰年の子」という意味に解釈できますが、「龍顔・龍駕・龍車・龍徳」などの言葉が示すように、龍は天子(天皇)の権威すなわち王権の象徴ですので、「天から王権を授与された者=天子」であるのと同様に「龍から王権を授与された者=龍子」と捉え、「龍子=天子・天皇」と解読します。そこで「龍子は天皇をあらわす」と解釈することもできます。地名の読み方が不明だったためか、三浦芳聖は、「りゅうし」と読んでいました。

 

石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう、京都府八幡市八幡高坊)  石清水八幡宮(ウィキペディア)
石清水八幡宮といえば、戦前は我が国の二所の宗廟と言われ、朝廷から、伊勢の皇太神宮と並んで大変尊崇された官幣大社で「国体明徴」の神様です。現在も毎年9月15日に勅旨が参向して勅祭が行われています。石清水八幡宮の御祭神は、御本殿中央に八幡大神「誉田別尊(ほんだわけのみこと)=第十五代応神天皇」を、西に比賣大神(ひめおおかみ)東に神功皇后(息長帯比賣命)をお祀りしています。この石清水八幡宮の創建は平安時代初めの八五九年(貞観元年)大安寺の行教という僧が豊前国(今の大分県)の宇佐宮に参篭した時に「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という八幡大神の御託宣(お告げ)を蒙り、同年男山の峯に八幡三所の神霊を奉安申し上げたことに始まります。『承久記』には「日本国の帝位は伊勢天照太神・八幡大菩薩の御計ひ」と記されている。

 

牧平町大門(まきひらちょうだいもん、愛知県岡崎市牧平町大門)
大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。三浦家の系図によれば、大宝天皇は、享徳3年甲戌(西暦1454年)この地に移住し、皇后三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称した。牧平町大門は天照大御神が五皇一体の八幡大明神の降誕予定地として指定された「日本天皇蒙塵(もうじん)の地」であり、大宝天皇以降、三浦家累代 450年間の住居であり、三浦芳聖の降誕地であります。

佐久(さく・静岡県浜松市天竜区) 大宝天皇皇后「三浦佐久姫」をあらわす地文。三浦佐久姫は、三浦義勝五世の嫡孫、楠木正成六世の孫。父は三浦宗明、母は楠木正親の女・冬子。『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(291頁)には「皇后富士大宮司三浦氏の第六十一世の嫡女三浦佐久姫」とあります。

 

藤太夫島(とうだゆうじま・静岡県藤枝市本郷) 大宝天皇の後称「三浦藤太夫」をあらわす地文。

 

安房大神宮(あわだいじんぐう、千葉県館山市大神宮)
皇室ゆかりの元官幣大社。天太玉命(アメノフトダマノミコト)、天富命(アメノトミノミコト)を始めとする神武天皇のご東征時代、即ち日本建国の為にご活躍された神々をお祭りする由緒ある神社です。神社のHPには安房神社となっていますが、千葉県館山市大神宮の地名が語っているように、この神社の通称は「安房大神宮」です。

 

 


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| 串呂哲学 | 10:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
串呂哲学とは(7)串呂哲学の解読法 3、絶対確証の串呂

同一串呂線上に「同文同種の地文」が三つ以上存在している場合、これを「絶対確証の串呂」と言い、天地神明が重大なる事柄を確定神示しているものと考える。

 

 

神皇正統 三浦皇統家 系図(しんのうしょうとう みうらこうとうけ けいず)
後醍醐天皇
−尊良天皇−興国天皇−小室門院¬
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−大宝天皇−−−−−三浦芳聖
−義良親王――――――寛成親王−綾子皇后−大宝天皇
−宗良親王――――――小松天皇−松良天皇−光良親王−−−−睦仁親王

 


神皇正銃の天皇が天の岩戸篭リした事が地文に秘められていると
理解されたとき串呂哲学の要諦が一気に解明されたのであった。

 

串呂哲学の解読法 3、絶対確証の串呂

「串呂哲学とは(2)串呂哲学解明の経緯」で紹介した「蔵王山と三浦山の神風串呂」のように、同一串呂線上に同文同種の地文(この場合は「大門」)が三つ存在している場合、これを「三串(みつくし)の串呂」といいます。

 

同一串呂線上に同文同種の地文が三つ以上存在している場合、これを「絶対確証の串呂」と言い、天地神明が重大なる事柄を確定神示しているものと考えます。

 

このような確定神示の串呂には、著名な神社とか皇陵が存在して串呂を守護している場合や、重要串呂起点・重要地文が存在する場合が多いようです。

 

絶対確証の串呂の一例

・「寺野薬師堂・大楠」が守護している大門三串の「蔵王山と三浦山の神風串呂」

・三浦芳聖晩年の住所・終焉の地と三河八幡宮、伊勢八幡宮、尾張八幡宮を通る八幡宮三串の神風串呂

・三浦芳聖の三箇所の住所が一直方向線上に位置する「正善」と「降誕地」「仮寓地」「晩年の住所・終焉の地」を貫く神風串呂

・松良天皇の串呂上の符号が「和田」であることを昭示する「和田三串・御名・松永の神風串呂」

・大和三串・天子ヶ岳・御正体山の古代神都「東三河」立証の神風串呂

・「豊臣秀吉・大鳥居三串の神風串呂」

・南北朝和睦の真相を昭示する「後亀山天王御陵・勅使三串の神風串呂」
 

以上のほかにも、まだたくさんありますので、順次追加して参ります。

 

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| 串呂哲学 | 17:39 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |